東京都町田市で人事労務のご相談、就業規則・社内諸規程の作成を承っている社会保険労務士事務所
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主な | 町田市、川崎市 |
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営業時間 | 10:00-17:00 |
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社会保険労務士岩切事務所 代表
社会保険労務士(全国社会保険労務士会連合会 第13020412号)
市場価値測定研究所認定 市場価値測定士
(市場価値測定テスト ビジネス基礎能力657点)
趣味:ビリヤード、早朝ドライブ、身体の仕組みを知ること
1973年宮崎県生まれ。中央大学法学部法律学科夜間部卒業。
肩書きや趣味を書いただけの自己紹介では退屈なので、ストレートな自己紹介を・・・
宮崎県生まれとは言っても「名ばかり宮崎生まれ」
幼少期から東京都と神奈川県との境、町田市で過ごす。現在も活動の拠点にしている。
大学付属の高校に通うも、推薦を受けるには程遠い成績。高校は卒業できたが大学には進学できずに浪人。当時付き合っていた彼女にもふられる。高校卒業後まもなく、宮崎県にあるユースホステルに約4か月長期滞在。長期滞在といってもそこはユースホステル。仕事する時間が短いヘルパー(アルバイト)のような時間を過ごす。外国人旅行者が訪れると、片手に英和、片手に和英辞典を持っておもてなし。ペアレントさん、地域の人たち、自分の好きなことをしている旅行者たちとのふれあい・・・ホスピタリティマインドを体験学習させていただく貴重な時間を過ごす。
ユースホステルから町田に戻ると、受験・進学費用稼ぎのためアルバイトをしながらの浪人生活。受験本番まであと1か月を知らせる正月。突然、一緒に暮らしていた祖母が倒れ、受験本番を直前に祖母の介護をしながら大学受験をすることとなる。受験本番では力を出し切れたという感覚を得られず苦戦。大学進学は夢の話・・・2浪するか就職するか考え始めていたところ、一番最後に受験した中央大学法学部法律学科夜間部に合格。進学する。
大学生時代は、大学授業→コンビニ夜勤→寝る→掛持ちバイト→大学授業 が1日の基本サイクル。合コン、サークルといった大学生のイメージとはかけ離れた昼夜逆転の生活。司法試験突破を目論みながら学生時代を過ごすも、多くの時間をバイトに使ってしまう日々を送る。
コンビニ夜勤。はじめは腰掛けのつもりだったが・・・
たかがコンビニ、されどコンビニ。「人が動く」「人を動かす」ことに興味・関心を強く抱くようになり、大学卒業前まで続けてしまう。
司法試験勉強のため大学を1年自主留年していた大学5年のある日、本屋で偶然「社会保険労務士」という資格を知る。自分の興味・関心と通じると直感的に感じたことがきっかけで司法試験から社会保険労務士へと目標をあっさり変更。大学卒業後、初めての社会保険労務士試験で一発合格。
社労士試験合格後、多くの会社と接することができることを期待して社労士事務所への就職を希望するも求人数が圧倒的に少なく、その上、実務・社会人経験なしがネックとなり、下積みできるだろう就職先がなかなか決まらない日々を送る。
社労士試験合格者対象の事務指定講習のカリキュラムを参考に、時には社労士事務所に勤めていた友人のアドバイスを受けながら実務勉強をし、実務経験不足を補おうとするも現実はそう甘くはない。社労士事務所への固執を捨て、一般企業にも応募はするものの結果は同じ。就職浪人生活を余儀なくされる。
いつでも就職できるようにと、当時バイトしていた映像制作会社を辞めた中での就職活動だったため生活資金が底をついてしまう。就職氷河期と言われていたこの時代。本当に冷たい時代であったことを痛感させられる。
そんな中、偶然求人雑誌で見かけた「高原野菜農家 住込みバイト募集」に強烈に惹かれ、就職活動を一時中断。生活資金稼ぎのため高原野菜農家(長野県南佐久郡川上村)で約6か月、住込みのアルバイト生活を送る。
畑の土づくりに始まり、苗を育てる、苗を植える、外敵(タヌキや猿などの野生動物)対策、水をやる、草をとる、肥料をやる、収穫する、出荷する、畑をしまう。畑の1シーズンのほとんどを経験させていただく中で、自然の有難み、食べ物の有難みを身に染みて感じるとともに、何のために就職を希望しているのか?仕事とは何ぞや?を改めて考えさせられる。
住込みアルバイトで得た資金を元手に就職活動を再開するも連戦連敗が続く。都内のある女性社労士事務所での面接では「うちは残業が当たり前なの。あなた耐えられる?」「うちは女性しか募集していないんだけど・・・」といわれ(だったら面接前に伝えるのが筋だろ!と)激しい憤りを感じ「その程度の社労士なんですね」と反抗的な言葉を発して自ら面接を切り上げてしまうということも・・・。
こんなくだらない社労士には絶対にならないと心に誓い就職活動を続けるも、前回同様バイトなしでの就職活動。お金は出ていく一方。またしても生活資金が底をつきかける。高原野菜農家に出稼ぎに行くか?農家は経験させてもらったから、次は酪農?それとも漁業?そんなことを考えて始めていた矢先、都内の社会保険労務士事務所に拾っていただくことが決まる。
就職活動開始からおよそ2年。ようやく下積み生活を始めることができるようになる。担当となった労働保険事務組合部門は、労働保険年度更新の時期は残業なんて当たり前。通勤片道1時間30分、往復3時間の私にとって、睡眠時間を確保しようとするなら泊まり込みなんて当たり前。スポーツクラブは健康ランド?風呂代わりとしてしか利用できないほどの超繁忙期がある部門でしたが、下積みの私にとっては超繁忙期だろうがそうでなかろうがそんなの関係なし。
「仕事は教わるものではない。仕事は見て盗む。」
学生時代のアルバイト先で出会った寿司職人たちの言葉。この言葉を支えにそれまでアルバイトしてきた経験は下積み時代も発揮。がむしゃらの働きまくる。
ところが、がむしゃらのツケが響いてしまったのか、2回目の労働保険年度更新が一段落した頃より体調が優れなくなり、慢性的な体調不良を抱え込んでしまう。とある大学病院の耳鼻咽喉科(総合案内で相談したら耳鼻咽喉科にまわされた)で診察を受けると、医師から「それうつ病なんじゃないの?」といわれ精神薬を処方される。診察のとき、私の座る診察台の周りにいた手の空いていた医師が私を指さし「それ うつ うつ」と笑いながら言ってくれたことが診察結果に対する強烈な反発心を作る。
「オレがそんな病気なるわけないだろ!」と心の中で猛反発(←「うつ」になりやすい典型的なタイプ)。処方された精神薬は数日で服用を止め、紹介された心療内科への通院も拒絶。これをきっかけにメンタルヘルスを強烈に意識。通勤時に愛読する雑誌もプレジデントからターザンに変わるとともに、人間の身体への関心も強くなる(それまでやっていた筋力トレーニングに対しても疑問を持つようになったのもこの頃)。
「もう二度と病まない」を心に誓い、労働保険事務組合部門の青天井残業時間の削減。いつでも定時出勤、定時退勤できる仕組みづくりに取り組む。1から仕事を見直し、オリジナルのデータベースを作る、業務マニュアルを作るなど業務改善を進める。その結果、3回目の労働保険年度更新。労働保険事務組合部門は、ほとんど残業なしを実現。年度更新の時期以外もほとんど残業なしを継続できる環境を実現する。
このころより漠然と独立を意識しはじめ、営業力を身につけたいとの思いから転職活動をこっそり始める。転職活動するも「人に使われる」ことに嫌気を感じている自分に気付き、後先考えずに退職を決意。4回目の労働保険年度更新を終えると同時に事務所を退職。しばらくは本調子に戻り切らなかった身体の回復に専念。コンサルティング会社や他の社労士事務所から「うちで働かないか?」と声を掛けていただくも丁重にお断りする。
自身の体調不良の経験から「健康的な人事労務の創造」をミッションにかかげ独立。順調に活動する中、市場価値測定テストに出会う。法律という強制の人事労務管理には限界があることを改めて認識。市場価値測定研究所の門をたたき、「市場価値測定士」資格を取得。市場価値測定士としても活動を開始。
労務相談、就業規則の作成などの社労士業務に加え
「少ない労働時間投資で最大の利益を作る」を意識した活動をしている。